「こんな女に誰がした」…この名曲を聴いて22歳女子が思うこと

「星の流れに」という有名な曲がある。

この曲の中で最も一般的に認知度の高いサビの歌詞が「こんな女に誰がした」である。

例えこの曲を耳にしたことがない人でも、このフレーズは聞いたことがあるだろう。

この曲は、戦後の時代にパンパンやオンリーと俗に呼ばれていた、

在日アメリカ軍人に身体を売っていた女たちや街娼のいわばイメージソングである。

気になる人は、ぜひ動画サイトで調べて聴いてみてほしい。

この曲が作られ、歌ってくれる歌手を探した際、

最初に挙がった候補である淡谷のり子はこう言ってこの話を断った。

「パンパン(街娼)に転落したのを、他人のせいにしてフテくされることはないじゃないの。

自分が弱いからそうなったのよ。」

その後引き受けて歌った、当時は歌手界の新参者であった菊池章子の歌声により、

この曲は世に出、街娼問題と共に徐々に有名になっていったのだ。

私はこの曲が好きである。この曲のはらむ悲しさと絶望と退廃と家族への愛が好きだ。

だが、私は現役の娼婦であるからこそ、淡谷のり子に賛成する。

私だってこの曲の目線と同じような立場ではあるが、

「こんな女に誰がした」なんてありえない。

誰もあなたをそんな風にしちゃいない。他人の人生を捻じ曲げることなど、本当は誰にもできない。

彼女の言う通り、自分でなったのだ。

「こんな女に誰がした」ではなく、「こんな女に自分がなった」というだけのことである。

自分がダメだということを、誰かのせいにするのは間違っていると思う。

例えば、

子供の頃に受けた残虐な記憶による自分の人格の捻じれを親のせいにできるのは、

せめて10代までである。

成人して大人になってしまえば、親の仕打ちや悲しい幼少時の記憶や家庭問題など、

言い訳にはならない。

自分が犯したい罪があるからその罪を犯して犯罪者になる、

金や性という欲望が自分にあるから身体を売って売春婦や男娼になる、

なすすべもなくなった時に死にもの狂いで頑張る力がないから自殺したり浮浪者になる。

こんな自分に誰がした、といじけて尋ねる前に、

自分の胸に手をあててみたらいい。

こんな私に誰がしたのか?

それは、他ならぬ私でしかない。

今この瞬間を生きているのは、誰でもない自分なのだ。

自分が選んだ道を、自分の足で歩いているのである。

だから私は私を恥じたり悔いたりしない。

誰だって、「こんな私」なんかじゃない。

こんなに素敵で楽しい私に、私がしたのだ。

もっと胸を張って生きよう。

お金持ちの皆さんに身体を売って生きているこういう女でさえ、

こんなにも光を見つめて生きている。


昨晩帰って来るタクシーの中でそんなことを考えました。


今日も最後までお付き合い下さり、ありがとうございました♡


H


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by howdeepisurlove | 2016-05-29 12:30 | 日記